まつのとソフトボール②
こんにちは、Teacher Aide 奈良支部長のまつのです。まつのとソフトボールの第二弾を書いていきます。二回目は大学の部活動での話です。
ちなみに、昨日(24日深夜)に投稿したものはこちら。高校生の頃の話をしています。
さて、高校時代のリベンジを果たすため教師を目指し、奈良教育大学へとやってきた私ですが、迷わず男子ソフトボール部に入りました。その時は部活しかしたくないという、いわゆるBDK(部活大好き教員)よりも、質の悪い教員を目指していました。今となっては考えられないですね(笑)
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学問としてのソフトボール
さて、大学のソフトボール部の前に別の話をします。私はソフトボールの指導者になりたいと思っていたことは述べたとおりですが、そのためにソフトボールの知識をつけないといけないと思っていました。
当時、大学のソフトボール部は関西学生リーグに所属しており、そこか全日本大学ソフトボール協会の規定だったか覚えていませんが、とにかく「チームに一名以上の準指導員資格をもつ者をいれること」というルールがありました。そのため、誰かが資格を取りに行くことになりました。ソフトボール指導者を目指す私にとって願ってもないことであったので、その講座を受講することにしました。
そこで、ウインドミル投法(腕を一回転させて投げる方法)やスラップ(所謂「走り打ち」のことで、地面にボールを叩きつけ、高く跳ね上げる打法)、バントなどの指導の仕方を学びました。ほかにも座学でソフトボールの歴史や細かなルール、体罰などについての講習もありました。
https://www.japan-sports.or.jp/Portals/0/data/ikusei/doc/guide/Softball_Coach1.pdf
そして、私は「ソフトボール準指導員」の資格を得ました。その後資格を更新し、「ソフトボール指導員(現:コーチⅠ)」となっています。また、知ることが楽しくて審判の資格(第三種、都道府県大会程度なら可能)も得ました。時々母校の練習試合に審判として呼ばれます。完全なガチ勢ですね。ソフトボールに関する知識についてなら、関西学生リーグの中なら一番詳しい自負がありました。ルールについて聞くためだけに電話をかけてくるような後輩もいます(笑)
知識をつけるだけでなく、社会学としてソフトボールについて考えたこともありました。1回生の頃、「専修基礎ゼミ」という授業で「なぜソフトボールは女性のスポーツといわれるのか(うろ覚え)」という5000字ほどの長ったらしいレポートを書いたこともあります。すなわち、「男は野球、女はソフトボール」という図式に挑んだのでした。残念ながらそのファイルが見つからず、どのような結論にしたかは覚えていませんが、学問としてもソフトボールを追求しようとしていました。
ちょうどその授業で、早稲田大学の中澤篤史先生の著書「運動部活動の戦後と現在: なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか」に出会いました。結果として、この著書との出会いが私のソフトボールへの見方がかわる一因となったのです。しかし、これに気付いたのはこれを読んで2年後の3回生になってからでした。
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男子ソフトボール部での活動(1.2回生)
2014年4月、私は男子ソフトボール部に入りました。
これまで、私はただ「勝つこと」のみを良しとしていたため、当時のチームの「楽しむ」ということについてはなじめなかった覚えがあります。また、高校時は勝つためならば何でもしていた(相手チームの配球やヒットゾーンの調査などの合法的なものから、サイン盗みなどの汚いことも。なお当時は汚いとさえも思っていなかった。それが当たり前だったから。)ため、大学で大きなギャップにあたりました。
私は高校でやってきたことを大学でも再現しようとすることに腐心するのみで(というよりしみついてしまっていて抜けない)、チームにはあまりなじめていませんでした。楽しむといったことは頭から抜けていました。
「かくあるべし」という思考から抜け出せていなかったということですね。当然、うまくはなりませんでした。
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仲間の引退と「部活は道楽や」という言葉の意味(3.4回生)
春リーグ1試合目vs大阪工業大学
— 奈良教育大学 ソフトボール部 (@nuesoftball) 2017年4月15日
6ー2で勝ちました!
初回に先制ツーランを浴びましたが
松野のツーランホームラン
滝口の2本のスリーベース等で
逆転勝利しました!🎉
このように続けてきたことで、自分の心境が変わってきました。
ただ純粋に、ソフトボールが楽しい
ということでした。うまくなって、多くのことができるようになったためでもありますが、先にも挙げた中澤先生の本の内容を思い出したということもあります。同書においては、スポーツの本来的な意味は強制されないということであり、余暇を楽しむということだ(そんな感じ)というようなことが書かれていました。
以前から、ソフトボールは楽しいと感じていましたが、それが変質し、より強くなったのだと思っています。特に高校生のころはとんでもない下手くそで、自分がプレーすることによる喜びや楽しさはほとんど感じていませんでした。楽しいと感じるのは「勝利」、ただそれだけでした。ただ、これを読んでいる方はお察しの通り、それは勝利至上主義を呼び、ソフトボールそのものの楽しさを消してしまいます。
そのような価値観が変わり、勝利を度外視して楽しめるようになったのでした。勝利を度外視できるようになったのは、そもそも人数が少なく、試合をするのもやっとだというチーム事情になったことも一因します。ただ、試合ができるだけでうれしい。勝っても負けても楽しい。そんな子どものような気持ちでやっていました。
また、高校時代の監督の言葉「部活は道楽や」を思い出し、より楽しもうとする意識が強まりました。当時は「部活はあくまで道楽なのだから、勉強もしっかりしろ」という意味でしかとらえられていませんでしたが、別の意味があることに気づきました。それは、
部活は道楽なのだから、楽しくやらなければならない
- 後輩たちに花道を(大学院生期)