まつのとソフトボール②

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2017年2月頃、合宿地の広島県三次市にて

 こんにちは、Teacher Aide 奈良支部長のまつのです。まつのとソフトボールの第二弾を書いていきます。二回目は大学の部活動での話です。

ちなみに、昨日(24日深夜)に投稿したものはこちら。高校生の頃の話をしています。

softball360.hatenablog.com

 

 さて、高校時代のリベンジを果たすため教師を目指し、奈良教育大学へとやってきた私ですが、迷わず男子ソフトボール部に入りました。その時は部活しかしたくないという、いわゆるBDK(部活大好き教員)よりも、質の悪い教員を目指していました。今となっては考えられないですね(笑)

 

 

 さて、大学のソフトボール部の前に別の話をします。私はソフトボールの指導者になりたいと思っていたことは述べたとおりですが、そのためにソフトボールの知識をつけないといけないと思っていました。

 当時、大学のソフトボール部は関西学生リーグに所属しており、そこか全日本大学ソフトボール協会の規定だったか覚えていませんが、とにかく「チームに一名以上の準指導員資格をもつ者をいれること」というルールがありました。そのため、誰かが資格を取りに行くことになりました。ソフトボール指導者を目指す私にとって願ってもないことであったので、その講座を受講することにしました。

 そこで、ウインドミル投法(腕を一回転させて投げる方法)やスラップ(所謂「走り打ち」のことで、地面にボールを叩きつけ、高く跳ね上げる打法)、バントなどの指導の仕方を学びました。ほかにも座学でソフトボールの歴史や細かなルール、体罰などについての講習もありました。

https://www.japan-sports.or.jp/Portals/0/data/ikusei/doc/guide/Softball_Coach1.pdf

 そして、私は「ソフトボール準指導員」の資格を得ました。その後資格を更新し、ソフトボール指導員(現:コーチⅠ)」となっています。また、知ることが楽しくて審判の資格(第三種、都道府県大会程度なら可能)も得ました。時々母校の練習試合に審判として呼ばれます。完全なガチ勢ですね。ソフトボールに関する知識についてなら、関西学生リーグの中なら一番詳しい自負がありました。ルールについて聞くためだけに電話をかけてくるような後輩もいます(笑)

 知識をつけるだけでなく、社会学としてソフトボールについて考えたこともありました。1回生の頃、「専修基礎ゼミ」という授業で「なぜソフトボールは女性のスポーツといわれるのか(うろ覚え)」という5000字ほどの長ったらしいレポートを書いたこともあります。すなわち、「男は野球、女はソフトボール」という図式に挑んだのでした。残念ながらそのファイルが見つからず、どのような結論にしたかは覚えていませんが、学問としてもソフトボールを追求しようとしていました。

 ちょうどその授業で、早稲田大学の中澤篤史先生の著書「運動部活動の戦後と現在: なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか」に出会いました。結果として、この著書との出会いが私のソフトボールへの見方がかわる一因となったのです。しかし、これに気付いたのはこれを読んで2年後の3回生になってからでした。

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 2014年4月、私は男子ソフトボール部に入りました。

 これまで、私はただ「勝つこと」のみを良しとしていたため、当時のチームの「楽しむ」ということについてはなじめなかった覚えがあります。また、高校時は勝つためならば何でもしていた(相手チームの配球やヒットゾーンの調査などの合法的なものから、サイン盗みなどの汚いことも。なお当時は汚いとさえも思っていなかった。それが当たり前だったから。)ため、大学で大きなギャップにあたりました。

 私は高校でやってきたことを大学でも再現しようとすることに腐心するのみで(というよりしみついてしまっていて抜けない)、チームにはあまりなじめていませんでした。楽しむといったことは頭から抜けていました。

「かくあるべし」という思考から抜け出せていなかったということですね。当然、うまくはなりませんでした。

  • 仲間の引退と「部活は道楽や」という言葉の意味(3.4回生)

 うちのチームは3回生で引退するか、4回生まで続けるかという選択をする選手が半々ほどいました。そのため、3回生の秋季リーグが終わった後に同期がすべて引退してしまい、私はひとりぼっちになりました。なぜ自分はやめなかったのかということについては別の機会にします。
 一気に人数が減り、人数を必要とするような練習(ランナー付きノック、試合形式ノック、シートバッティングなど)ができなくなりました。人数もギリギリ9人いるか、多くても11人というほど厳しい状態になりました。私は仲間が引退する以前はDP(指名選手、野球でいうところのDHのようなもの。厳密には異なる)として出場するのみで、守備機会はほとんどありませんでした。下手くそだったので。
 しかし、そうなれば自分も守備をしなければなりません。そこで後輩たちは、冬の間たった一人の先輩のために特守をしてくれ、私はフライ捕球やゴロ捕球、送球動作などの細かな技術の向上に努めました。もちろんバッティングもです。
 すると、少しずつではあるものの、上手くなったのです。打撃の向上は顕著で翌年の春季リーグで大学生活初のホームランを打てました!!

 

このように続けてきたことで、自分の心境が変わってきました。

 

ただ純粋に、ソフトボールが楽しい

 

 ということでした。うまくなって、多くのことができるようになったためでもありますが、先にも挙げた中澤先生の本の内容を思い出したということもあります。同書においては、スポーツの本来的な意味は強制されないということであり、余暇を楽しむということだ(そんな感じ)というようなことが書かれていました。

 以前から、ソフトボールは楽しいと感じていましたが、それが変質し、より強くなったのだと思っています。特に高校生のころはとんでもない下手くそで、自分がプレーすることによる喜びや楽しさはほとんど感じていませんでした。楽しいと感じるのは「勝利」、ただそれだけでした。ただ、これを読んでいる方はお察しの通り、それは勝利至上主義を呼び、ソフトボールそのものの楽しさを消してしまいます。

 そのような価値観が変わり、勝利を度外視して楽しめるようになったのでした。勝利を度外視できるようになったのは、そもそも人数が少なく、試合をするのもやっとだというチーム事情になったことも一因します。ただ、試合ができるだけでうれしい。勝っても負けても楽しい。そんな子どものような気持ちでやっていました。

 また、高校時代の監督の言葉「部活は道楽や」を思い出し、より楽しもうとする意識が強まりました。当時は「部活はあくまで道楽なのだから、勉強もしっかりしろ」という意味でしかとらえられていませんでしたが、別の意味があることに気づきました。それは、

 

部活は道楽なのだから、楽しくやらなければならない

 

 ということです。楽しくやらないと長続きしないし、やっている意味がないのです。せっかく好きなことをやっているのだから、楽しくやらないと。これ以降、ずっと「一にも二にも、三にも楽しく」ということを意識してやっています。
「楽しむ」ということは、ソフトボール(それ以外でも)を追求し続けた者がたどり着くことのできる、一つの「境地」だと思っています。
 
 その後、4回生の秋季リーグ最終戦を勝利で終えました。私はマルチ安打で大満足でした。一応、私は院進予定ではありましたが引退を迎えたことになっています。
 

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写真はイメージです
 
そして、それが奈良教育大学ソフトボール部の実質的な最後の試合となりました。
 
  • 後輩たちに花道を(大学院生期)
 私が4回生になったころから、慢性的な人数不足で試合はおろか、練習さえも満足にできない状態が続いていました。トラブルも起こり、少ない人数がさらに少なくなりました。私は何とかしてやりたいと思い、自分の大学院の入学式の日に後輩たちとビラを配るなどもしました。しかしその後は大学院の授業やフィールドワーク、修論が忙しくて何もしてやることができませんでした。ほかのメンバーも教育実習や教員採用試験などでソフトボールどころではなくなり、活動再開とリーグへの復帰の可能性は限りなく0になりました。
 自分だけが楽しんだだけで、後輩たちには試合さえさせてやれなかったことに、本当に申し訳なく思っています。
最後の試合から2年半が経ち、「後輩たちに楽しませてあげる場を作りたい」という私の思いはとても強くなりました。自分が後輩たちにしてもらったように、自分がいつか恩を返したいと思い、せめて引退試合だけは用意してあげたいと思っていました。
そして私は一つのイベントを企画しました。それは「2019.20卒部員特別引退試合」でした。今年の三月上旬に、私が所属している地元のクラブチームに依頼して試合相手になってもらうということでした。クラブチームの方は大いに賛同してくれ、試合が行われることになりました。しかし
 
雨天中止
 
もう笑えます(笑)どこまで運が悪いのか(笑)中止になった午後には快晴でしたよ(苦笑)
 
というところでつらつら私とソフトボールについて書いてきました。ほぼ自分の日記みたいになってしまいましたね。
 
とにかく言いたいことは
 
後輩たちとのソフトボールは楽しかった
 
ということです。
 
 私のソフトボール人生(競技スポーツとして)では、思い残すことはありませんが、ただ一つ、願いが叶うならば、一緒にソフトボールがしたかった。そしてあわよくばみんな笑顔でプレーしたかった。このことがどうしても心残りです。
 
 またいつか、グラウンドで会いたいものです。
 
さて、これらが私の大学卒業についての所感です。長々と書いてきましたが、「まつのと○○」シリーズはまだ続けようかと思います。何ならまだソフトボールで書くことがあります。
 
さて、卒業式も控えているのでそろそろ失礼しますね。
 
2020/03/25 2:55 自室にて